韓国のバイク雑誌から14

イメージ 1

韓国の二輪車 歴史の証拠/ 世界的な モーターショーを 参観して見れば 各国を 代表する 二輪車メーカーが ひとつふたつ ずつ 在るのを 見る事が 出来る。最近のような グローバル時代に どの国の 会社なのかが さほど 重要な 事項ではないが、メーカーを 見れば その国の 二輪車 文化と 環境を 知る事が 出来る 面白みが 有る。ある メーカーの 車種は ひときわ えり好みする カラーが 有るのだろうか、図体が 大きい者だけが 買うのか 韓国人には 小数だけが 楽しめる メーカーなのか、オプションを 見てみると その場所は 寒い日が より多いのだろうか、などなどだ。 しかしながら 我が国は 未だ 二輪車文化の 初期だと 見るのは 国内メーカ
ーから 何の 特色も 見えない。多様な 使用人口を 対象として 共通分母を 探して 最も 大衆的な モデルを 作り出すのが 戦略だった為だ。
それは 自動車市場でも 似たような 現象を 見せる。本当に 自分自身だけの 個性を 楽しみたい人は 海外メーカーの 車種を 選び、プレミアムを 享受するが 大多数の 市民は 国内メーカーで 全てを 包容出来る 大衆的な モデルで 車種を 選ぶ。最も ありふれるという ヒョンデ ソナタだけでも 独りの通勤、週末の 家族での 外出、キムチを漬ける時期には 白菜を、引越しの時には 引越しの 荷物を 解決する。輸入車より 相対的に 低廉で 簡便に 乗れる 国内メーカーに 大多数が 望む事は、そのような 包容力である。もちろん 見る事が たまにある マニアの 車種が 出されるとしても 2リットル級の 帝王には 勝てない。デリムも それと 大きく 変わらない

創立以来 海外メーカーとの 技術提携で カブ スタイルの 車種を 始め、ストリート モデル、スクーターなどを 生産してきた。過ぎたる 1990年代から 自体で 技術開発 及び 生産を している 彼等は 技術水準と デザイン哲学が 変わってきて来た。市民達の 便安な 二本の 足に なってやろうという 理念は 変わり無く来た。誰が 乗っても 負担無く 便安に、そして 楽しく 乗れる二輪車を 作って来た 彼等が 我々と つねに あると 表現する。創立30周年を 越えた デリム自動車は 早めに 1978年から 会社を 設立して 日本の ホンダとの 技術提携で 二輪車を 生産し始めた。キア産業という 合併前の 母胎から 数えるなら より 早い 1962
年から カブ シリーズの C100や 現在の ベンリーと 同じ 形態の CD50 CL90などを 生産してきた。80年代 始め 政府の 施策で 産業が 簡潔化されて 二輪車産業を 主管することに なった デリム自動車は、当時 青年達だった 我々の 父親達の 人気 1順位である DH125や 国内最初の 125ccモデルたる CG125、125cc市場を 席巻した GL125など 連打を 飛ばした。1982年には カブ形態の 二輪車を 俗に『パルパル』と 呼ばさせる 起因である DH88が 出され、配達の 象徴に なった シティ100は 1988年に 出た。我が国 最初の スクーターは、過ぎたる 1980年に 出た SOLARだったが 最も 大衆的に ヒットを 記録した TAC
Tが 1990年に 出されて デリム自動車に 依り スクーターブームが 造成された。機械を 扱う様に 乗らねばならぬ 一般二輪車とは 違い スロットルを 開け閉めすれば 駆けられる スクーターは、女性達も シートの 上に 座れて 二輪車人口を 増加するのに 寄与をした。その後 現時代を 暮らしている ライダー達も 記憶している アメリカン スタイルの マグマと デイスター、国内最初の 4ストローク エンジンを 搭載された スクーター、トランスRV、フォルテ 等が 続けて 出されて 1990年代 国内二輪車販売量が 年間 30万台に 至る 記録に 少なくない 寄与をした。

scooter nstyle誌 2010年 7月号より 抜粋。

※これから アジアン バイクは ますます 増えて行きますよ!