ラオスの超一流企業 コラオ

韓国のバイク雑誌より60
コラオは 挑戦精神が強い いち事業家が ラオスで興した企業の名前だ。KOREAとLAOSの合成語である このブランドは 今 ラオスを代表する企業と呼べる程に 大きな成功をして、その成功はラオスの発展にも大きな貢献をすることになった。そして この企業が 今KRモータース(旧S&Tモータース)の新しい原動力だ。

コラオという名前は とても前に TV番組で見たことがあった。現地に定着した韓国人事業家が切迫した現実の中でもモーターサイクルを生産しながら 認められて成功に至ったというドキュメンタリーだった。
その主題がモーターサイクルだった為に 当然 大きな関心を持って見たのだった。特に刺激的だったのは グローバル1位ブランドであるホンダと競争していた為だ。今もそうだが グローバル市場、それも伝統的に日本ブランドが強勢を見せる東南アジアでは 当時は想像すら困難だったのだ。その信じがたい事実を直接に確かめる機会が出来たので拒む理由は無かった。そしてラオスで直接確かめた この企業の姿は とても驚くほどに巨大で堅固だった。
成功の戦略は とても簡潔だ。現地の市場を分析して 価格と性能が適合した製品を作り 事後処理を確実にしてあげる事だ。事業を拡げ お金を儲けようとするなら 誰もが考えられる単純な方式だ。しかし言葉では易いが 実際に至るには極度に難しい課題を コラオは忠実に行いつくし、結局 ラオス内で 市場占有率1位を達成出来たと言う。勿論 ドラマが完成しようとすれば 紆余曲折と危機が必ず必要だ。実際に数多くの困難があって その難関を経て ハッピーエンドを迎えることが出来た。勿論 この長編ドラマは 現在進行形だが 成功という側面には すでに ある程度 クライマックスに至った訳だ。
コラオは 最初に 韓国産中古自動車と中古ビジネスバイクをラオスの現地に流通させながら 自らのポジションを得た。韓国産が 価格対比で比較的に好まれたのもあるが、商品性を復元させる中間段階と 完璧な事後支援という後続打が有ったために可能だったのだ。これを機会に韓国産製品とブランドを広く知らしめる契機になった。ところで この過程の中で惜しいことが隠れていた。その製品達が人気を集めたのは単純に韓国産だからでなく 日本の製品のライセンス生産品だった為だ。
実際に現地で 韓国ブランドの認知度は 日本の製品に比べて さほど高くなくって 現在も そうだと言う。ひとえに信じれたのは KOLAOと云うブランドであって、その信頼を通してビジネスを育てて行ったのだ。その 惜しいことは 未だ残っていて、コラオの会長は 純韓国産製品を知らしめられる道を あれこれと模索した。当時と現在の違う点は 今は本当に韓国産製品のプレミアムを分かつ事が出来るレベルに至ったという事だ。ヒョンデ自動車は いつの間にか生産量基準で 世界5位のブランドになって、電子製品ブランドの サムソンとLGも先導権を逃していないという事だ。コラオとコラオのオ会長は 最近 韓国ではS&Tモータース(旧ヒョソン)を引き受けて 社名をKRモータースと変えた張本人である程度に知られているが、韓国の市場よりも より大きなビジネスを海外展開しており ラオス国境を越えて タイ ミャンマー ベトナム カンボジアまでインドシナ半島で その活動半径を拡げている。そして 主力商品は コラオの信頼に応えられる 品質の良い韓国製品だ。
1997年に設立されたコラオグループは ラオスの大学生が選ぶ『最も働きたい企業』1位に持続的にランクされているという。コラオが 他の会社より 安定した基盤を持っていると見る側面も 多少有利だろうが、より大きな理由は 間違い無く学べることが多いという点だと言う。実際にコラオ出身の会社員を他の会社がスカウトして 離職する場合に 高いアドバンテージを持つという。ただ利潤創出だけを目的とする企業でなく 教育を通して 各社員の能力を高めて育て上げる役割を受け持っているという意味だ。ラオス社会に実質的に貢献する企業であるという意味だ。

※旧ヒョソンスズキから 数えて四つ目の名前となりました。ヒョソンスズキ→ヒョソン→S&Tモータース→KRモータースと変わりました。
我が国では なぜか‘ひょーすん'という名前であり 輸入元も 大型チェーン店に販売を丸投げしている実情ですが、親会社が変わった事で 日本市場に本腰を入れて来るかも知れませんね。コラオの低廉なオートバイは アジア圏で日本メーカーの好敵手になるかも?ですね。成り行きを見守りましょう。KRモータースに関しては 次の機会にしようと思います。^_^
スクーターNスタイル誌2014年6月号より

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